昭和四十七年十月九日 朝の御理解
X御理解第六十七節 「何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。」
 信心が永う続かねばならぬ。続くからには、信心が段々進まなければならぬ。勿論釘付けではないと仰せられるのですから、ひと所に留まっておってはならぬ。どうでしょう皆さんの信心が、よく堂々回りの信心だと言われますが、どういうよい信心であっても、それがいつも同じ所をぐるぐる回っておるような信心ではです。釘付けではない、とこうおっしゃる。その釘付けではないから、いつも動いておる。動いておるという事は、前進か、又は後退か、という事なのです。
 ですからおかげを頂いて、前進しなければ、勿論いけない。信心が進まなければいけません。勿論永う続かぬ。永う続かんとおっしゃる事は、永く続けば続く程、昨年よりも今年、十年前よりも十年後の今日といったようにです。信心の成長と同時に、おかげが成長してゆかねばいけんのです。『今朝方から私、お夢を頂いたのですけれども。それは誰かは分からんけれども。ちょぼ髭をきれいに、剃り落としておるところを頂いた。それは誰か分からん。』
 それから次には、昨日皆さんがあのように御用奉仕をなさいましたですねえ。百何十人の方達が、もう本当にお互いの力量と言うか、持ち場持ち場で終日ああした御用を頂かれまして、もう見違えるように教会の周辺も段々おかげを頂いて参りました。また御造営の方の片付けなんかも、とても請負をなさった雇い人の方達では、ああいう隅々までの心込めてする事は出来まいと思うような事が、御信者さん方によって出来た。本当に私は有難いと思わせて頂いたが。昨日、御用が昼から再開される時に、先生みんなあそこに集まっておりますから、何かひと口言うて下さい、と言うて信徒会長が言うてみえましたから、参りましたら、みんなあそこに整列してございました。
 『その事を神様にお届けさせてもらいましたら、チロリアンというお菓子がありますよね。チロリという事はまあ火がちろりちろりと燃えるといった感じで頂いたんです。ですからお互いの思いが、それはちろりちろりではあるかもしれませんけれども。百何十人の者が、集まったのですから。そのちろりちろりがね。神様の心を動かした。神様の心に燃えついた。そして、神様がいよいよ心を開いて下さった、と言うか、神様が働いて下さるというような、働きに燃え移ってゆかなければいけない、という意味の事を頂いた。本当に一人で持ち上がらぬ石でも、大勢掛け声を揃えてと仰せられるけれども。本当に大勢のものが、勢を揃えて信心をするという事は、そういう大変な事だと、私は思わせてもらいました。』
 もう本当に大祭を前にしての、御用奉仕。しかも日程も切迫して参っておりますから、皆さんも一生懸命でございました。そしてそれから昨日は又、もう徹夜でございました。秋永先生以下、若先生、高橋さん嘉朗さん。いろんな準備の為の御用を、こげな面倒くさい事をというような事を、もう丹念に丹念に検討したり、それが出来て行っておりました。というように、そういう思いが結集されて結局、記念祭に限らんのですけれども。お祭りというものは、そういう思いが結集されるという事が、御大祭のように思いますね。それがお礼なんです。御大祭は例えば、一時に開花をすると言うか、花が開くようなもので、開く迄が、御大祭だというような気がしました。
 ですからそういう例えば、一生懸命の御用に、携わっていないとするなら、大祭が空のような大祭になってしまうじゃないかと思います。大祭を仕える迄が大変なのである。そこに日頃頂いておるおかげのお礼の心を表して行く。取り分けこの石庭に砂を運ぶのなんかはもう、沢山な人数がいるのであります。きれいな砂がいっぱい入りまして、素晴らしい石庭が出来ました。これがますますよくなる事でしょうが。
 『私は今朝お夢を頂くのはね、その石庭がね、沈んでおる。そしてこの御造営のあっておる、こちらのお広前も御造営のあっておる所も、何か少し浮いておる。そして石庭が沈んでおるといったような、空間が感じられるようなお夢でした。何か、ヒヤーッとするような感じです。石庭が真四角に出来てる。それが下に沈んで、そして、反対にこのお広前、新館の方が浮いておると、いったような感じ。私はそれを頂かせてもろうてから、これは私共の信心が浮ついておるな、と。地に着いてないなと。』
 成程、お夢の中に誰か分からんけれども。ちょぼ髭を剃り落としよんなさった、のは所謂ちょぼ髭を剃り落とせという事。私がいつも申しますように、私が髭というのが大嫌いなんです。何か髭を立てるのは、だから大嫌いなんです。ところがです、お互いの例えば、鼻の下にそれこそ、ちょっぴりではあるけれども。ちょぼ髭がはえとりゃせんだろうかという事です。例えば皆さんが昨日、合楽なればこそ、とてもこれだけの人間が、集まって、しかもこれだけの人達が一遍に御用が出来れる場があるという事。しかも、見事に成就していっておる脇殿の事。
 見事になっていっておる石庭の事、など見てから、それこそちょっぴり、言うなら自慢心といったものがお互いの心の中にあるのじゃないか。これは私を含めて‥‥。慢心が出ちゃ信心にならん。慢心が出ちゃおかげを落とす。そこでですね、私共の信心が、例えば、素晴らしい事が出来ておる度に、例えば慢心が出るような事であっては、それはおかげを落とす元になるのです。素晴らしい事が出来れば出来る程、反比例して、私共の信心というものがです。本当に、信心も出来んのに、本当な御用も出来んのに、神様はこのようにおかげを下さる、という私は信心が必要になってくると思うのです。私が例えば、昨日ああして御用をした。そしてこんなに立派になったじゃなくてです。御用も出来ませんのに、このようにおかげを頂いてというものが。
 もう十何年前に親教会から、親先生のお供をして、本部参拝をさせて頂いておる時でした。毎月お参りさせてもらう。時々、老奥様も一緒にお参りになりました。その時も親先生と私と大奥様と三人でお参りをさせて頂いた。準備が出来て、表へ出らせて頂いたら、奥様が履いておられた下駄の緒が切れた。新しいものでしたけれども。ほんな境内を出らん前に切れた、時の事を私は本当に、今でもありありと覚えとりますが、それだけ感銘が深かった訳です。どうおっしゃったかと言うと、「ああおかげ頂いた」とおっしゃった。鼻緒が切れた時に、もう途中でどん切れとるなら、裸足にならにゃんとこじゃった。
 と言うて又、新たな下駄と替えて、たったそれだけの事ですけれども。信心とは、そういう心の状態が全ての上に、現れてくる思い方が出来る稽古なんです。普通の者ならどうでしょう。言わば何日がかりかで旅行をする。その行きがけに、表を出たら、新しい切れるはずもないような、鼻緒がぷっつり切れた。これは縁起でもない事が起ってくるのじゃなかろうかと、いうような思い方をするのが普通であります。それをね、サッパリ、スッキリ、とね、それをおかげと頂きとめれる心なんです。信心が成長していくという事は、それを例えば、どのような場合であっても、おかげと合掌して受けれる心なんです。
 その受けれる心がです。所謂おかげを生むと言うか、おかげを受ける受けものになるのです。ですからとっても一年二年の信心の稽古したからと言うて、そういう心の状態がね、出来るもんじゃない。初代の大先生にお付になって、それこそ、あられもない行をなさった。しかも沢山なお子さんをお育てになられる、中にただ金光様一筋におすがりさせて頂いて、布教なさった修行のたまものが、たったそれだけの事だけれども。それだけの事が思え言えれるだけに、素晴らしい信心に育っておられたと。
 釘付けではない、段々段々そういう心の状態が、ハッキリしかもしっかりと出来てくるという事。お互いの信心が、成程詳しゅうはなっとろうけれども、です。心の上の事を言うてみると、腹の立つ事はやっぱ腹の立つ。取り越し苦労せにゃん事はやっぱり取り越し苦労をする、とするなら、あなたの信心はひとっつも進展していない、という事。堂々回りだという事。釘付けになっとるという事なんです。
 これはもう私が椛目におかげを頂いて、からでした。その当時お日参りを私自身がさせて頂いておった。今は子供達が移り変りお日参りをさせてもらう。夏の大変暑い日が続いて、もう永い間、おしめりがないので、雨乞いがあっておるという時分の事でした。もうそれこそ、凄まじい夕立がありましてね。それこそじっくりおしめりを頂いた訳なんです。そのおしめりの後に、私は親教会に、お参りさせて頂いた。丁度親先生は御祈念の座について、御祈念をなさっておられた。
 『私は後から御祈念をさせて頂きました。御祈念が終って、御結界につかれたら先生が、大坪さん今、神様からこういうようなお知らせを頂いた、と言うて私にお話になりました。というのは、本当に今日は結構なおしめりを頂きまして、それこそみんなが慈雨と、それこそお恵みの雨として、みんなが喜んでおります、事をです。お礼を申させて頂きよったら、「おしめりが有難いなら、お日照りも有難いのぞ」と頂かれた。おしめりが有難いなら、お日照りも又有難いのぞと。
 もう本当に大坪さん自分の思うごとなった事だけがおかげと思いよるばってん。自分の思うようなにならん事もやっぱおかげばい、と言うてから、私がその日頂いた、その御教を書いて、何月何日親先生神様から頂かれるという事を書いて、確か残しております。』そうなんです、もう絶対にそうなんです。自分の都合のよか事だけはおかげ、だけれども。自分の都合の悪い事は、おかげでないような、頂き方ではなくて、一切をおかげ、おしめりが有難いならお日照りも又有難い、のぞと頂けれる、信心に果して育っていっておるかどうかという事なんです。
 とても釘付けどんの信心しよっては、堂々回りの信心どもしよってから、は理屈は分かっとるけれども。心の中にそれをおかげとは頂かれんのです。私の方の家内の事ですけれども。昨日先生方が夜通しいろいろな御用をやっておられる。まだ私が夜中に起きたら電気がついとりますもん。今度記念祭に記念出版される私のまあ言うなら、半自叙伝的なものを、私が今日までの事を、また今日頂いておる信心を聞いて頂いておるのを、そのままお書物になっておる。その一部がそこに置いてあったから、読ませて頂いた。もうそれこそ、十何回読んだでしょうか。
 何遍読んでも読んでも有難い。一番初めのお話の冒頭の所を読んで、でありました。そしたらですね。『本当に読みながら、度々感動する訳ですねえ。私が事実通って来た事なんですから。そしたらその瞬間、御心眼に頂きます事が家内と私が肩をこうやって、肩を組んでおる訳です。そして私が右の手、家内が左の手を一つに合わせて合掌しておる姿を頂いた。私はもう本当に、あの中には、私の事それから、私の先祖の事、又は母の里の事などはいろいろにお話しとりますけれども。
 家内の方の里の事やら家内の事やらは全然お話をしていないという事です。今日こうやっておかげを頂いたのはです。例えばそんなら、家内と私が肩を抱き合うて、しかも右の手と左の手を、合わせて二人が一体になって、修行して二人が一体になって、合掌する信心修行というものが出来たから、だという事を頂いた気が致しましてね。ははあ本当に、そうどころではない、と私は思いました。私はいつも皆さんに、婦人会の方達に申しますように、あんたどんがどげんよか信心しよったっちゃ、うちの家内には勝たんよと。第一それこそもう黙って治める、もう、素晴らしいです。ものを言わんです。又、第一言いもきらん。』
 父が小倉の母が奈良の人。そして朝鮮に渡って、立身出世をした人ですけれども。釜山に渡って、そしてもう夫婦で一生懸命働いて、あちらで相当の財産をなしましたけれども。女兄弟が三人、息子が一人、それに私の家内が一番下でありました。一番姉が今、大阪におります。二番目が亡くなって、そして三番目が私の家内、それに一番上に兄がおりました。それは終戦後、椛目にも来ましたし、それから間もなく、私共が引き揚げて帰りましてから、十ヶ月位した時に急病で亡くなりました。
 もう大変な人で、もうそれこそ飲む打つ、買うの三拍子揃うた、もう典型的な遊蕩児ですね。ですから釜山でそれだけの財産が出来ておったのを、もう借家なんかはもう、ほとんど売ってしまって、自分方の家、屋敷に迄、商売の方に迄、もうこれは、一馬と言よりましたが、一馬が使うてしまうだろうから。母は熱心な真言密教の信者です。お大師様の信心をするのです。ですから姉は一人亡くなり、一人は、もう縁につけておって、一番下の私の家内に大体かかるはずじゃった。
 そこで母が思い立ちました事は、これはこのままだったら、もう何もかも、あれが使うてしまう、だけではない。二人の姉妹と、これは芸者にでも売りかねない、というような感じのところ迄なった訳です。そこでですね。母が思い立ちましてから。私の家内が十二だった。それでお四国参りを思い立った。そしてもう出来るだけの財産をお金にしましてね、そして札、打っていくでしょう。お寺さんお寺さんにずーっと、寄付して回った。そしてお参りをさせて頂いた。
 まあだ十二位ですから、丁度、‥‥もうそれを下関の方から反対側の方から打っとる。あの反対側の方から札を打ちはじめますと、三回参ったがたあると言われる程しに、難しいそうですねえ。それを母は学校をその間だけ休ませてですねえ。二ヶ月間位かかったんでしょうか。そして、その回って、そん時、お寺さんにずーっと寄付して回って、参りました。判が押してあるのがね、受け取りがずーっと取ってございました。椛目に持って帰っとったけれども。大洪水以後なくなっている、です。
 それでもう母がいつも話をしてくれよりましたが。それはもう新たかな事じゃった、と言うてから話しとります。その中に、ですね。あるお寺さんに泊まらせて頂いた時、に、話を聞いて大変同情して、どうでもこうでも、自分ところに、この娘をくれと言うて、その和尚さんが言うて、ききなさらじゃった。それがおかしな事じゃある。もう、一番お客さんが泊まりなさるごたる部屋に案内されてですね。そしてもう毎日帰られんごと、もうほとめきなさるそうです。それけんほとめかれるままにです。何ヶ月か過ごしたんです。そしたら、今の私の家内、五十枝をくれという事だった。
 だからもう断わりも言われんごとあった。それでもう、とうとう親子でですね、逃げ出した。そして次の札所へ、参りますのを一日がかりをせんならん程の難渋だったそうです。母がですね。兎に角癪の病とでも言ったものでしょうねえ。それで家内が、母が担いでおるおゆずりを、その辺まで持って行って、そして又自分のを持って行って、母を抱えてから、まあだ十二の子供ですよ。もうそれこそ難行苦行をしてようやく次のお寺に辿り着いたといったような事が、あったというような話をね、聞かせて頂てから。本当に私共も小さい時から、いわゆる今度の私のお書物の中には、そういう事を大変詳しくお話しております。
 けれども家内のこういうような、事をですね。全然話してない。皆さんにも聞いてもらった事がない。これは本当に、私と家内の言うならば、私がいつも申します。私が本当に修行中に、他所からもし嫁さんもろうとったら、絶対一緒に修行しきらじゃった。近所からどももろうとるなら、もう親の方が連れ帰ったに違いない、というような中をです。もうそれこそ、ひと言も言わずについてきたという事。
 そうしてそんなら、その後の信心が、私と結婚致しましてから。だから家内はもう、それこそ真言密教の拝む事はそうにゃ、拝むとが上手です。私共の方へ来た時分には、お参りしよりました。けれども、いろいろおかげを頂くようになって、私の信心に、ついてくるようになりましてからね。いわゆる金光様一本に、家内もならして頂いた訳でございますけれども。そういう例えば、信心は違うけれども。そういう例えば生まれながらにして修行させて頂いておるという事。そうしてそういう信心をやはり続けてきて、そして金光教の信心に、言わば成長してきた。
 言うなら信心が釘付けではなかった。そして段々今日、皆さんから、あのようなしかともない女子ですけれども。皆さんから、親奥様親奥様と言われる程しにおかげを頂いたという事が、釘付けではない証拠でしょう、変ってきた。私は今日は大変今迄とは違った角度から、この六十七節を皆さんに聞いて頂いた訳ですけれども。信心は釘付けではない。けれども信心が堂々回りをしておるから、おかげが堂々回りをしておるのです。釘付けではない。だから生きておる信心は、‥‥生きもの。
 伸びよらん時には必ず反対に下に下ってきておる。ですからいつも、私共が前向きの姿勢と言うか、本気での信心修行と言うかねえ。そういう昨日、私が申しましたように、いよいよ信心が楽しゅうなってくる。教祖様の生きられ方をいよいよ追求しながら、私がこの世に生を受けた意義とでも申しますか、生き甲斐とも言うようなものをです、感じる信心にならなければ、信心は出来ないと思う。只おかげさえ頂きゃよかったら、思う事がかのうたら、もう信心が遅うなる。信心がいよいよ楽しいものに、尊いものに、有難いものにという信心の焦点をそこに置かせて頂くところから、です。
 所謂、釘付けではない一段一段信心が進んでくるに従って、おかげもそれに伴うてくるというような、おかげが頂けると思うのですよね。お互いの信心をもうひとつ、検討させてもらい。私が今朝からお夢に頂いた、石庭が沈んで、この教会全体が上に浮いたような感じ。これは私をはじめみんながです。ひとつおかげを本当におかげとして、それをふんまえての次の信心、にならなければならん。信心も出来んのにおかげを頂いておるという事をです。まあ私は痛切に感じましたのですけれども。そのようなおかげの中にあるのに私共が、例えば自慢どもしよったんじゃあ、慢心ども起しよったんじゃあ、いけないというお知らせをです。
 あのちょぼ髭を剃っておるという事からです。いいやそげな事はなか、慢心はしとらん、自慢はしよらんごたるけれどもです。ちょっぴりそれこそ、心の中に出来ておりはせんだろうか。ここのところを早くひとつ取るところは取らせて頂いて、いよいよ信心の成長を願わなければならんと思うのです。どうぞ。